慈遠寺跡顕彰碑

慈遠寺跡に関する碑

慈遠寺跡顕彰碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市西町八坂神社
【撮影日時】
2006年12月15日/12時32分

 西之表市の八坂神社の一角にこの記念碑が建てられています。碑文は、石碑の右側の大理石の碑石に刻まれています。なお、碑石の大理石は、駐日ポルトガル大使ペドロ・マディラ・デ・アンドラデ閣下のご尽力によりポルトガル政府から寄贈されたものです。石碑の碑文、碑石の文章は次のように刻まれています。

 慈遠寺跡顕彰碑
       昭和五十三年七月吉日建立
          西町町内会
            撰文 平山武章
            書   平山武緝
            石工 花木友安
            左官 三窪一郎
            同   園田 工

建立西町町内会
協力団体
  西之表市
  日本ポルトガル協会
  西之表市文化協会
  保護審議会
  西之表市観光協会
  種子島を語る会

 碑文
慈遠寺は大同四年(西暦八〇九年)奈良興福寺による末寺としての創建薩南諸島鎮護の大伽藍であった。此の地種子島は黒潮による交通の要に位し、往古より我が国に著しい影響を及ぼした南方、あるいは大陸との接点であり、為に赤尾木は本寺を中心に薩南諸島の政教の府として繁栄を続けた。天文十二年(西暦一五四三年)八月南蛮船が漂着乗組の百余名は此の宿坊に生活すること半歳、その間鉄砲、タバコ、医薬品、パン、鋏、洋馬等を伝えた。進取的島民はこれらを克く摂取し国産化して、広く国内に流布せしめ日本の歴史を画する技術革新をもたらした。また、ザビエル聖師日本伝道の最後の地も此所であった。近世日本は実に此の所を発祥の地として開花したのであり、これらの威風伝統は島民が等しく継承し誇りとする所、茲に碑を建て永く顕彰するものである。

 碑文は以上です。なお、読み違いがあるかもしれません。

※ 2020年(令和2年)1月7日(火)に撮影した西之表市西町八坂神社境内に建立されている「慈遠寺跡顕彰碑」を紹介しています。この動画の中には、国道58号線八坂神社入口付近、八坂神社境内、慈遠寺跡顕彰碑の碑文及びその周辺の風景などを収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

慈遠寺跡顕彰碑 西之表市西町八坂神社境内に建立 - 種子島の記念碑

2014.3.1〜