御前橋

御前橋の由来に関する碑

御前橋
【撮影場所】
鹿児島県西之表市古田御前橋付近
【撮影日時】
2009年2月11日/9時43分

 西之表市街地から県道76号線を下り、西之表市立古田小学校を過ぎると上り坂に橋が架かっています。その橋を御前橋といいます。古田御前にちなんだ橋です。西之表よりの橋付近に由来碑があります。その由来碑には、次のような碑文が刻まれています。

 御前橋

 御前とは古田御前のこと。
 国上の住人、黒木道純の娘として生まれ、気品高く、教養豊かで、鉄砲伝来時の島主第十四代時尭公との間に十六代久時公を出産する。久時公十歳の時、父、時尭公他界する。時あたかも戦国乱世、母御前は久時公の人づくりに必死になる。
 孟母三還の教育により、赤尾木(榕城)城下は温暖ゆえ、寒冷な古田が教育には最適と考え、居をこの地に移す。
 御前は毎朝、自ら早く起き、冬の朝にも裸足のまま久時公を庭に連れ出し、立ち木を打たせ、槍を使わせ、或時は自ら刀を揮って心身を鍛えさせた。
 夜は燈火のもとに書物を読ませ、或は古今武将の勇壮な物語に時を過ごし、久時公が寝床につかれた後は、時尭公の霊前に伏して、ひたすら久時公の行末を祈られた。
 久時は成長するにつれ、英姿さっそう、武勇絶りん、後年「武の久時」といわれる名将となる。
 御前は、天正十七年八月に思いで深いこの地で安らかに永眠される。四十一歳。
 賢母、古田御前の名をとり「御前橋」と名づける。

 碑文は以上です。

2014.3.6〜