古田御前(ふるたごぜん)

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島主種子島時尭公の側室だった古田御前...

古田御前は、国上村の家臣黒木道純の娘で、鉄砲伝来でお馴染みの第14代島主種子島時尭公の側室でした。第十六代島主種子島久時の母で、天正十七年(一五八九年)八月五日に四十二歳で古田で亡くなられています。古田夫人とも言われていました。

古田御前については、西之表市立古田小学校の校庭の一角に、「賢母遺蹟碑」、「古田御前母子像」とともに、「賢母の遺蹟のあらまし」の碑があり、これを読むと古田御前の事跡が分かってきます。その「賢母の遺蹟のあらまし」を要約すると、つぎのとおりです。

言い伝えによれば 島主時尭公がある日、国上村にりょうに行ったとき、ひどくのどがかわいたので、とある人家に入って飲み物を求めたところ、すると一人の女がいて茶わんをなべのふたにのせてすすめてくれます。初めはなまぬるく、その次は少し熱く、三ばいめはもっと熱くして出したので、時尭公はめずらしくかしこい女だと思い、側室に迎えていきます。そして男子が生まれ、後の16代島主種子島久時公です。古田御前とも古田夫人とも言われていきます。

古田御前は、館で育てると弱い子になるからと、種子島で一番寒い地域の古田に屋敷を築き、親子で住み子育てが始まっていきます。子供の教育は大変厳しく、毎朝はだしで槍の稽古をさせたりし、どんな寒い朝でも決して休むことはなかったといいます。久時公も母の厳しい教えをよく守り、苦しみを耐えぬいていきます。

その甲斐あって十六歳のときには、いのししをうちとるまでになり、英姿さっそうとした武勇人にすぐれるまでに成長していきます。やがて久時は、第十六代島主になっていき、文禄征韓の役には、種子島鉄砲隊を率いて四度も朝鮮に渡り、厳寒地でめざましい活躍をしていきます。その後、南海での戦いなどでも活躍していきますが、久時のめざましい手がらは天性にもよりますが、父時尭公が残したはかりごとや母の教えによることが大きいのです。子の教育は孟子の母にならったものであります。

そして、古田御前は天正十七年八月五日、四十二歳をもって古田でなくなります。いつの頃から古田御前と言われるようになったかは分かりませんが、人々は賢母の教えとその子育てを語り継いでいきます。西之表市立古田小学校の校歌には「賢母の教え」という歌詞もでてきます。現在でもその精神は引き継がれています。

ところで、島主種子島時尭公が国上村へ鹿狩りに行き古田御前と出会ったのは、鉄砲伝来から既に二十一、二年が経過しています。古田御前が十七、八歳で、時尭公が三十七、八歳の頃といわれています。年の差は二十です。時尭公は五十一歳で亡くなられていますので、そのときの古田御前は三十一歳です。したがって、51-37=14となり、時尭公が亡くなられるときの久時公は、十三歳前後でしょう。また、古田御前が亡くなられたときの久時公は、二十四歳くらいです。それと資料も色々調べてみましたが、古田御前の名前は分かっていません。昔、女の名前はほとんどなかったといわれています。

古田豊受神社境内 古田御前墓地 古田御前屋敷跡地
豊受神社境内 古田御前墓地 古田御前屋敷跡地
【撮影場所】西之表市古田豊受神社
【アクセス時間】県道76号線経由で約12分
【撮影日】2008年2月26日
【説明】豊受神社の右に、「古田御前墓地」があります。案内用の標注が見えているところです。
【撮影場所】西之表市古田豊受神社
【アクセス時間】県道76号線経由で約12分
【撮影日】2008年2月24日
【説明】墓地には、石塔が七つあります。左の二つは小さい石塔です。
【撮影場所】西之表市立古田小学校
【アクセス時間】県道76号線経由で約12分
【撮影日】2008年2月24日
【説明】旧県道側にある校門の左に、昔、宿直室がありました。その場所に親子で住んでいた屋敷があったといわれています。現在、宿直室は残っていません。「古田御前屋敷跡地」の標柱が立ててあります。
久時の母 第16代島主種子島久時の墓 古田御前生家跡地
久時の母 第16代島主種子島久時の墓 古田御前生家跡地
【撮影場所】西之表市榕城種子島家御拝塔墓地
【アクセス時間】市役所から徒歩で約2分
【撮影日】2008年2月24日
【説明】種子島家御拝塔墓地の一番奥にあり、右から七番目のお墓です。「久時母」と案内板が立ててあります。
【撮影場所】西之表市榕城種子島家御拝塔墓地
【アクセス時間】市役所から徒歩で約2分
【撮影日】2008年2月24日
【説明】種子島家御拝塔墓地の一番奥にあり、右から五番目のお墓です。「第16代久時」と案内板が立ててあります。
【撮影場所】西之表市国上中目
【アクセス時間】県道581号線経由で約15分
【撮影日】2008年2月23日
【説明】地元の話によると、中目にある水口商店の隣の空き地が、古田御前の生家の跡地ではないかといわれています。中目の中心部です。
古田御前生家跡地 古田御前母子像  
古田御前生家跡地 古田御前母子像  
【撮影場所】西之表市国上中目
【アクセス時間】県道581号線経由で約15分
【撮影日】2008年2月25日
【説明】地元の話では、もうひとつ候補に上がっているのが、写真の場所です。子孫に当る黒木家のある場所です。二つの場所は、すぐ近くにあります。
【撮影場所】西之表市古田小学校校庭
【アクセス時間】県道76号線経由で約12分
【撮影日】2008年2月24日
【説明】西之表市立古田小学校にある古田御前母子像です。母子像付近には、賢母遺蹟碑や賢母の遺蹟のあらましなどの記念碑もあります。
 

※ 2014年1月11日、西之表市現和近政で、法華宗本源寺の土屋ご住職がハマ祈祷講話で話された古田御前にまつわるお話を収録しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

法華宗本源寺土屋ご住職による種子島時尭公の側室古田御前のお話

※ 2013年5月4日、西之表市国上、古田で、古田御前に関する生家、墓地、母子像、屋敷跡などを撮影したものです。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島家の女偉人伝:第14代島主種子島時尭公の側室だった古田御前(第16代久時の母)

2014.1.13〜