ふるさと種子島 > 西之表市の旅行・観光情報(種子島開発総合センター) > 羽生慎翁資料展

池坊の生花を広めた先人は種子島の人

第30回国民文化祭・かごしま2015 西之表市プレイベントとして、種子島開発総合センター(鉄砲館)で、「羽生慎翁資料展」を平成26年11月1日〜12月28日まで行っているものです。

平成26年12月20日(土)、「羽生慎翁資料展」の特別展示を撮影させていただきました。特別展示は、入場料は無料となっています。鉄砲館で直にご覧になってはいかがでしょうか。

種子島史に名を残す家臣に、羽生道潔という人物がいます。御家年中行事の編纂や種子島に初めて養蚕業を奨励したことで知られています。種子島での華道の起こりは、寛政4年(1792年)道潔が華道池坊の師弟である薩摩藩丸田氏に弟子入りしたことに始まるとされています。

道潔の孫・慎翁も、道潔の影響を強く受け、京都へ遊学。池坊家元に華道を学び、種子島に広めます。明治12年(1879年)には、薩摩・大隅両国の会頭職に、3年後には大日本総会頭職となり、明治22年(1889年)には、池坊東京出張所初代所長をつとめました。

その後、東京泉岳寺には慎翁亡き後、門弟たちにより記念碑がたてられています。そして、慎翁の生家である月窓亭には、華道池坊のために尽力した慎翁をたたえ家元から贈られた記念碑が設置されています。

羽生慎翁資料展を写真と動画で紹介しています。

なお、詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。

羽生慎翁資料展

資料展には、羽生慎翁に関する表札、竹筒の生け花、当時の写真などが展示されています。

羽生慎翁に関する表札

写真は、羽生慎翁に関する表札です。左より2番目は、華道教授 梅陰亭月窓と書かれています。現在の月窓亭の名前は、号の梅陰亭月窓から付けられたものです。

羽生慎翁道則の写真です。文政9年に生まれ、明治34年(1901年)2月に亡くなっています。

羽生慎翁

天保12年に池坊流華道を修業、明治8年には華道指南に、明治15年には、大日本総会頭職兼華道教授に。

いけばなを生ける器

これもいけばなを生ける器です。明治8年頃故羽生慎翁・・・・と記入されています。

掛け軸に描かれた羽生慎翁

これは、掛け軸に描かれた羽生慎翁です。

大日本総会頭職になった時の辞令

写真左は、明治32年11月に撮影された梅陰亭月窓羽生慎翁です。写真2枚目は、明治14年8月14日、鹿児島本願寺別院で生けたものです。そのほか、明治16年鹿児島興業の落成で生けたものなどの写真です。また、写真上は、羽生慎翁が大日本総会頭職になった時の辞令です。その右は、薩摩大隅両国の総会頭職の辞令です。

羽生慎翁の写真
六角堂(紫雲山頂法寺)

写真は、現在の六角堂(紫雲山頂法寺)で、右は、東京泉岳寺の正門わきにある羽生慎翁の碑です。

木版による華道教本

写真は、花絵図で木版による華道教本です。300年前の花材、花瓶、生け方などが紹介されています。

池坊専正の日々記

写真は、池坊専正が文久元年に42世を継承してから明治42年に亡くなるまで日々綴った日記です。日々の出来事、行事などが記されています。

羽生慎翁記念碑の碑文

写真は、平成5年2月23日、種子島の生んだ偉大な先人羽生慎翁の遠い日の熱い思いを一人でも多くの人々に伝えたく、華道家元45世池坊専永宗匠により直筆の題額を賜り、西之表市が記念碑を建立したものです。その碑文です。

生花図

写真は、池坊専正が明治初期の門弟の生花図から100図を選んで明治30年に刊行した図集。その中で、種子島一族、種子島の門人作品37点が収録されています。種子島の作品左〜羽生伊平、右〜羽生氏寿恵子のものです。

※ 2014年12月20日、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)において、「羽生慎翁資料展」を撮影し紹介しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

池坊のいけばなを広めた先人は種子島の人〜羽生慎翁資料展

 
2014.12.21〜