第14代種子島時尭公
平成20年8月24日(日)、西之表市街地で第39回種子島鉄砲まつりで鉄砲隊パレードが行われました。
今年は、西之表市制50周年記念の種子島鉄砲まつりです。南蛮パレードは、15時30分から八坂神社を出発して西之表市民体育館まで行われ、鉄砲伝来に関係する武士や商人などの行列や各種団体手踊りなどから構成されていますが、今年は全国火縄銃大会に参加してくれた18団体の鉄砲隊も加わり、鉄砲一色に染まり、これまでにない華やかなパレードとなりました。
鉄砲パレードが終ると、西之表港緑地公園にて、午後5時30分から演芸大会が行なわれました。そして、21時から行われた打上げ花火、華やかな鉄砲祭りも午後9時30分過ぎ無事終了しました。なお、鉄砲パレードの構成は次のとおりです。
火縄銃兵衛マスコット(先頭)→下西小トランペット鼓隊→南蛮船(各ミスレディ)→槍持・毛槍持→陣幕持→種子島時尭公→家老→西村織部丞→武士→弓人→供武士→奴→八板金兵衛→三郎次→笹川小四郎→橘屋又三郎→南蛮船(若狭&民国人)→ほら貝隊→種子島火縄銃保存会→堺火縄銃保存会→国友鉄砲研究会→米沢藩古式砲術保存会→相馬中村藩古式炮術→川越藩火縄銃鉄砲隊保存会→中島流炮術千葉城鉄砲隊→森重流砲術研究会→駿府古式炮術研究会→信州真田鉄砲隊→松本城鉄砲隊→愛知県古銃研究会・長篠・説楽原鉄砲隊→日野筒鉄炮研究会→根来史研究会根来鉄砲隊→備州岡山城鉄砲隊→秋月藩砲術林流抱え大筒保存会→種子島火縄銃南部鉄砲隊→団体手踊り(市地域女性団体)→団体手踊り(熊毛支庁)→団体手踊り(種子島高校)→団体手踊り(舞扇流種子島支部)→団体手踊り(九電グループ)→団体手踊り(義順顕彰会田上病院・わらび苑・百合砂・せいざん病院)→宣伝パレード(たばこ耕作)→宣伝パレード(プラッセだいわ)→宣伝パレード(サンシード)→宣伝パレード(リコ・フラ・ハイビスカス)→日向ひょっとこ踊り種子島会→種子島鉄砲太鼓(最後部)
写真1枚目は、第14代種子島時尭公です。鉄砲伝来時16歳でした。日本人で初めて舶来銃を試射した人物でもあります。
写真2枚目は、国道58号線始発付近の交差点で出発式の様子です。種子島火縄銃保存会、国友鉄砲研究会、堺火縄銃保存会の代表者三人の試射による轟音でパレードが開始されました。
火縄銃試射
観光レディーが乗った南蛮船
写真3枚目は、フレッシュ種子島をはじめ、堺市、志布志市など観光レディーが乗った南蛮船です。「こっち向いてねぇ〜」と声をかけましたら、快くカメラに向ってくれました。
写真4枚目は、西之村の宰領であった西村織部丞です。語学が秀でていた方です。西村天囚は、その子孫に当ります。
西村織部丞
八板金兵衛
写真5枚目は、火縄銃を語る上で、八板金兵衛を忘れてはいけません。日本で最初に国産化銃を作った方です。
写真6枚目は、火薬製法硝石75%を確立した笹川小四郎です。現在も火薬の割合は変わっていません。
笹川小四郎
橘屋又三郎
写真7枚目は、堺の商人の橘屋又三郎です。火縄銃で大もうけをしたといわれています。
写真8枚目は、若狭とポルトガル人が乗った南蛮船です。
若狭とポルトガル人が乗った南蛮船
米沢藩古式砲術保存会
写真9枚目は、米沢藩古式砲術保存会の鉄砲隊です。
写真10枚目は、相馬中村藩古式炮術の鉄砲隊です。
相馬中村藩古式炮術
中島流炮術千葉城鉄砲隊
写真11枚目は、中島流炮術千葉城鉄砲隊です。
写真12枚目は、駿府古式炮術研究会です。
駿府古式炮術研究会
信州真田鉄砲隊
写真13枚目は、信州真田鉄砲隊です。
写真14枚目は、熊毛支庁の団体手踊りです。
熊毛支庁の団体手踊り
舞扇流種子島支部の団体手踊り
写真15枚目は、舞扇流種子島支部の団体手踊りです。
写真16枚目は、九電グループの団体手踊りです。
九電グループの団体手踊り
せいざん病院の団体手踊り
写真17枚目は、田上病院グループであるせいざん病院の団体手踊りです。
写真18枚目は、宣伝パレードで「たばこ販売組合」の手踊りです。
たばこ販売組合の宣伝パレード
リコ・フラ・ハイビスカス
写真19枚目は、宣伝パレードで、「リコ・フラ・ハイビスカス」のフラダンスです。
演芸大会での舞踊
写真20枚目は、夕方、西之表港緑地公園で行なわれた日本舞踊です。西郷輝彦の「青年おはら節」で見事な踊りを披露してくれました。
※ 2008年(平成20年)8月24日(日)に行われた第40回種子島鉄砲まつり(鉄砲隊パレード)の写真152枚を静止ムービーとして紹介しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島のイベント:第39回種子島鉄砲まつり(鉄砲隊パレード)フォトムービー】