種子島開発総合センター(鉄砲館)で、鉄砲館企画展「酒器〜おさけの道具展〜」が平成28年3月30日(木)〜6月3日(金)まで行なわれています。
平成28年6月1日(水)、「酒器〜おさけの道具展〜」の特別展示を撮影させていただきました。特別展示は、入場料は無料となっているものです。
酒器〜おさけの道具展〜を写真と動画で紹介しています。
なお、酒器〜おさけの道具展〜の詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。
粒露式蒸留器です。焼酎は、元来、味噌や醤油と同じように、自家製法をしていました。その時に使っていたものが写真の蒸留器です。からいも1俵で、焼酎2升から3升できていたという。
猪口は、元来、少量の料理を盛り付けるために用いられていましたが、江戸時代中期から、酒器やそば用の器として使用され現在に至っています。
盃です。通常、、酒を飲むために用いられます。日常の飲酒から、神道の結婚式や神事などで使われます。また、祝盃などでも使われます。
徳利です。酒を神棚に供えるための瓶子が変化したものです。今でも使われています。
盃台です。
盃台です。
燗ぢよか、銚子、升などです。酒を注いだり、焼酎を沸かしたりします。
提重箱です。野外で宴席を行うために使用されます。料理の入った重箱の外に、徳利、取り皿、椀、箸がなどが収納されています。
明治後期から大正初期のころの屋外での宴会です。
提重箱、徳利です。
瓢箪徳利、水筒、酒入れです。奥の水筒は、酒を入れていたとの記載があります。なお、右の酒入れは、種子島家のものです。
種子島家の酒入れです。
酒を入れていた水筒です。孟宗竹で作られて鯉の模様が描かれています。
どぶろく瓶です。どぶろくとは、発酵させた白く濁った酒のことです。酒の原型とされます。かつては、どぶろくを作って、五穀豊穣を祈願して感謝した。しかし、明治時代に政府は酒税法を制定し、自家醸造酒の製法を禁止した。
粒露式蒸留器で焼酎の製法を描いたものです。明治時代に酒税法が制定されるまで自家用で製法されていたものです。
写真は、米や芋を蒸すための甑です。
これは、羽生俊助氏の祝盃コレクションです。羽生氏は、西之表市松畠生まれ、羽生慎翁の子どもです。俊助氏は、富国強兵時代に日清日露戦役で出征し、陸軍大佐までなった人物です。
掛け軸です。左は、「夜深く 童児ないて起きず 猛虎一声し山月高し」。右は梅の掛け軸です。
愛島散人作の種子島の歌です。
平山篁月作「屋久島の歌」です。
平山円ものがたりです。種子島が生んだ類のない焼酎くらあです。明治12年生まれ、昭和4年1月31日没。海岸で沖を眺めて、「この海の水が焼酎ならばなあ」と詠まれたそうな。
キリンビール瓶です。容量2リットルの特大びん。戦前の1933年から1943年まで販売されたものです。
※ 2016年6月1日、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)において、「酒器〜おさけの道具展〜」を撮影し紹介しています。この動画の中には、猪口、盃、徳利、提重箱、どぶろく瓶、羽生俊助盃コレクション、戦前のキリンビール瓶、種子島の歌、屋久島の歌などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。