出発式での火縄銃試射
平成24年2012年8月19日(日)、西之表市街地で第43回種子島鉄砲まつりの南蛮パレード・団体手踊りが開催されました。15時より西町国道58号始点付近交差点で出発式があり、火縄銃の試射による轟音とともに南蛮パレードが開始されました。
南蛮パレードは、八坂神社スタート→西町松浦金物店前→東町風車前(火縄銃試射)→天神町三栄石油前(火縄銃試射)→鴨女町だいわ前→鴨女町市民体育館終点。その南蛮パレードの模様を写真と動画で掲載しています。
写真1枚目は、南蛮パレードの出発式で、火縄銃試射を行いました。写真左より、種子島火縄鉄砲隊、堺火縄銃保存会、江州・国友能當流砲術です。周囲からは、火縄銃の発する轟音に驚く人の声も聞こえてきました。
写真2枚目は、種子島鉄砲まつりの横断幕です。その前のマスコットは、火縄銃兵衛です。その後方に、西之表市立下西小学校金管バンドです。
種子島鉄砲まつりの横断幕
フレッシュ種子島
写真3枚目は、堺観光コンシェルジュ、フレッシュ種子島の乗った南蛮船です。笑顔で答えてくれました。
写真4枚目は、火縄銃鉄砲隊の先頭は、江州・国友能當流砲術です。毎年鉄砲祭りに参加してくれています。
江州・国友能當流砲術
堺火縄銃保存会
写真5枚目は、堺火縄銃保存会のみなさんです。毎年鉄砲祭りに参加してくれています。ありがたいことですね。
写真6枚目は、地元の種子島火縄鉄砲隊です。各イベントに参加し、火縄銃の轟音を響かせてくれていますよ。
種子島火縄鉄砲隊
陣幕
写真7枚目は、陣幕です。ちなみに種子島家の家紋は「ミツウロコ」です。その前に槍、毛槍持がいます。
写真8枚目は、種子島時尭公です。鉄砲伝来時の年齢は十六才でした。見るからにやさしそうな人でした。
種子島時尭公
八板金兵衛
写真9枚目は、日本人で初めて火縄銃を作った八板金兵衛です。その後方は、金兵衛の弟子の三郎次です。
写真10枚目は、笹川小四郎です。現在使っている火薬の基礎を作り上げた方です。混合比75%は、現在でも健在です。
笹川小四郎
橘屋又三郎
写真11枚目は、堺の商人橘屋又三郎です。鉄砲で、大もうけをした人物といわれています。
写真12枚目は、鉄砲伝来で、悲劇のヒロインとされるわかさの乗り込んだ南蛮船です。明国人などが乗り込んでいます。
わかさの乗り込んだ南蛮船
第29代種子島時邦氏(写真中央)
写真13枚目は、南蛮船に乗り込んだ来賓です。写真中央は、第29代種子島時邦氏です。
写真14枚目は、南蛮船の後方の団体手踊り連です。各地域の婦人会などで構成されています。菅笠で、お顔を隠しています。
団体手踊り
団体手踊り
写真15枚目は、団体手踊りです。菅笠で、浴衣姿は素晴らしいですね。種子島美人さんたちですよ。
写真16枚目は、種子島高校野球部の手踊りです。今回夏の大会では、よく頑張ってくれていました。この手踊りも若さあふれるパワーで、踊ってくれていましたよ。
種子島高校野球部
舞扇流種子島支部の手踊り
写真17枚目は、舞扇流種子島支部の皆さんの手踊りです。踊りのことなら専門ですので、ひときわ艶やかな衣装姿で、手踊りを楽しませてくれました。
写真18枚目は、PRパレードです。写真は、種子島高校生の女装した踊りです。少しヤンキーなスタイルで、元気よく、そして、ちょっぴり色気のある踊りも見せてくれていました。
PRパレード
ひょっとこ踊り
写真19枚目は、種子島ひょっとこ踊りのみなさんです。祭りには、欠かせないものとなっています。
種子島鉄砲太鼓
写真20枚目は、パレードの最後は、種子島鉄砲太鼓の皆さんです。力強い和太鼓を響かせながら、お祭りを盛り上げていました。
なお、種子島鉄砲まつりについての詳しいことは、西之表市役所(0997-22-1111)までお問い合わせてください。
※ 第43回種子島鉄砲まつり(南蛮パレード)のパレードの模様を撮影したものです。この動画の中には、出発式での火縄銃試射、南蛮パレード、各種団体手踊りなどを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島のイベント:第43回種子島鉄砲まつり(南蛮パレード)】