向方地域に正月行事の七草祝いとして伝承されている「福祭文」です。毎年一月七日の午後六時から行なわれます。地域の青壮年と高校生とで構成されています。
ところで、福祭文は、種子島の各地域で実施されている正月行事のひとつです。正月の神に代わって、各家を訪れ門口から福祭文を合唱して、その家の幸福と繁栄を祈って祝います。そして、合唱が終わると、祝いもちを頂いて帰るのです。最近は、祝いもちの代わりにお菓子や、果物、ご祝儀などを頂くことが多くなっています。なお、前年に不幸のあった家には回りません。
福祭文を読み上げるのが簡単なようで、なかなか難しく微妙な節回しが必要です。そして午後五時三十分には公民館に集まって、班分けなどを行い、地域に分散して巡回していきます。
さて、今回の南種子町島間向方の福祭文ですが、民家の門口に来ると、まず、玄関をややぎりこぶし大まで開けると、先導役が「旧式に任せ年頭のご祝儀申し上げます」と言って福祭文を歌っていきます。なお、向方神社は左右二つあり、右が島間管理区域、左が上方管理区域になっており、それぞれ福祭文を行います。そして、鳥居付近に移動して、岬八幡神社方向を向き福祭文を行います。これが終わると、班に別れて民家を巡回します。
民家での福祭文が終わると、地域の倉庫で全員で福祭文を行います。そのとき部落長は倉庫の扉を開けた右横に立っています。それが終わると向方公民館で福祭文を行い行事が終了です。そして、公民館内でナオライを行い、最後に全員で「めでた節」を合唱して福祭文も終わります。
写真一枚目は、島間管理の豊受神社前での福祭文を合唱しているところです。地域によって歌い方もいろいろです。この福祭文がうまく歌えないと、めでた節も歌えないといわれています。静まり返った夜に、福祭文の合唱が響き渡り、今宵ひと時の七草祝いが行われました。
追記〜向方地域・関係者の皆様、今回お世話になりました。ご丁寧な対応に感謝しています。皆様の益々のご活躍を期待しています。
写真は、島間管理の豊受神社での福祭文が終わり、全員お神酒を受けているところです。 | |
神社内には役員・神社関係者が正座し、福祭文を静かに聞いています。暗くなった神社境内に福祭文の合唱が響き渡ります。 | |
豊受神社鳥居付近で、御崎神社方向を向いて福祭文を合唱します。そのとき、神社関係者が鳥居付近で、静かに福祭文を聞いています。 | |
福祭文は、民家だけでなく施設なども対象になっており、南種子町立島間小学校での福祭文です。学校の玄関先で行います。 | |
民家での福祭文は、玄関の扉を握りこぶし大まで開けて行います。扉の開け方も地域によって違いがあります。福祭文を歌い終わると、世帯主がご祝儀を差し出したりします。それを受け取っているところです。 | |
福祭文が終わると、ジュースや焼酎、食べ物を振舞ってくれます。このときだけは、みんなが笑顔になるときです。温かい志、素敵ですね。 | |
福祭文の最後は、公民館で行われます。それが終わると、公民館でナオライが行われます。関係者の挨拶、乾杯で宴会です。今年一年の地域の発展、安泰、無病息災など語り合います。 | |
ほろよく酒が入ったところで、めでた節の合唱を行います。中種子、南種子町の各地域には必ず、お祝いのときにめでた節を歌う風習があります。 |
旧式に任せ年頭の御祝儀申し上げます
ヒョー 福祭文やソーラヨ
ヒョー これにこそやソーラヨ
ヒョー いつよりも今年は
ヒョー 門の松が栄えた <御門>
ヒョー 栄えたも通りよ
ヒョー これの亭主の身内には <御殿>
ヒョー 銭と米がたたえた
ヒョー たたえたも通りよ
ほうらいの松なれば
四方の隅々に
泉酒がたたえた
ヒョー たたえたも通りよ
ヒョー 福貴万福
徳有るとは冥加に叶わせ給えよ
ヒョー 大黒田の神他の神
ヒョー 三十二蒼の創り物
ヒョー 郷の御祝い御米あれ
一、 めでためでたの 若松様よ
枝も栄ゆる 葉も茂る
二、 なおもめでたの思うこと叶うて
木は鶴亀 五葉の松
三、 峯の小松に いな鶴が
谷の厳に亀舞い遊ぶ
四、 とどけとどけ末までとどけ
末もはじめも花のように