浜田藤太郎氏に関する碑
南種子町門倉岬の近くに七色観望台があります。明治37年1月西之本村で生れた浜田藤太郎氏は、昭和38年4月から3期12年南種子町長として要職についていましたが、晩年は、この地で過ごし亡くなった後、南種子町に寄贈しています。そして、七色観望台と命名され、前之浜海岸をはじめパノラマ展望ができる場所になっています。観望台にはたくさんの記念碑がありますが、その中で写真の記念碑を紹介します。上の記念碑は「偶成」の碑、下は「大山先生の詩文記念碑建立について」の碑です。上の記念碑には次の碑文が刻まれています。
偶成 大山翠石作詩
海田渺七色部落 愛郷赤誠人心導
碑林黙而後世照 永畏敬藤太郎翁
翁は明治三十七年一月三十日崎原に生を享ける。この地を近年観光客が太平洋から連なる広々とした海田の里、七色に映える美景の地とたたえ「七色部落」と命名した。翁は昭和三十八年から五十年まで三期十二年間町政初の長期政権の座にあり、無私無欲愛郷の赤誠に燃えて、ひたすら町政の振興発展に尽力されその業蹟は衆目の等しく賞讃する処であり、特に国際ロケットの町に繁栄させた。この間の人生哲学は宗教的に昇華され大碑林の教訓として後進の鑑になることは必定である。斯る翁を心底から畏敬し拙詩を賦して未来永劫に顕彰するものである。
平成六年七月六日
下の記念碑は次の碑文が刻まれています。
大山先生の詩文記念碑建立について
先生とのお付合いは日浅いのですが私が住居やその周辺に建立してある記念碑等をごらんになった先生は素晴らしい詩文とその訳文を私にお送り戴きました。その内容は私にとりましては貴い感謝感激の宝です。寺田石材店社長とも相談の結果記念碑建立を一決した次第です。
平成6年11月
浜田藤太郎
碑文は以上です。なお、読み違いがあるかもしれません。