松寿院は、第23代島主種子島久道夫人で、島津斉宣(26代島津藩主)の二女、島津斉彬(25代島津藩主)の叔母にあたります。また、NHK大河ドラマで放映されていた篤姫の伯母にあたります。松寿院は、寛政九年(1797年)三月十八日、鹿児島で生まれ隣(ちか)と名づけられ、生後まもなく種子島家にこしいれされています。
その後文化八年(1811年)第23代島主となる種子島久道と結婚しますが、夫が亡くなり三十二歳で未亡人になります。子供も三人いましたが、すべて早死にしてしまい後継ぎがいなくなり、島津家の藩命により家政担当の立場におかれていきます。そして、慶応元年(1865年)八月二十日、六十八歳の生涯を終えるまで、ただひたすら島民のために尽していきます。
南種子町平山の大浦塩田の開発、大浦川の川工事、西之表港の波止工事は、松寿院の三大事業とも言われています。そのほか、甘藷栽培の推進、製糖事業、種子島家歴代墓地の整理、栖林神社の創建、熊野神社への信仰も厚く、熊野権現擁護寺、松濤庵の建立、油久村の御新田も松寿院の意思で作られ、その功績は多大なものでした。まさに種子島の女殿様だったのです。
松寿院画像 | 西之表港新波止(沖の岩岐) |
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【撮影場所】*** 【アクセス時間】*** 【撮影日】2008年2月3日 【説明】現在残っている松寿院の画像です。中種子町立歴史民族資料館、種子島開発総合センターで松寿院コーナーがあります。 |
【撮影場所】西之表市榕城西町 【アクセス時間】市街地より約3分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】松寿院の主な事業の一つで、西之表港の波止工事です。写真の場所は、旧西之表港の沖にある岩岐です。昭和になって新港の工事が始まりますが、その基礎になっています。石組みが現在でも確認できます。 |
西之表港旧波止(築島) | 大浦川川直しの碑 |
【撮影場所】西之表市榕城西町 【アクセス時間】市街地より約3分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】旧波止の築島で、昔、この港から鹿児島、馬毛島への定期便が出ていました。昭和になって築港工事があり、その記念碑が中央にあります。 |
【撮影場所】南種子町平山北小浦上 【アクセス時間】国道58号、県道75号線経由で約20分 【撮影日】2008年7月3日 【説明】松寿院の主な事業の一つで、大浦川の河川改修工事です。安政六年(1859年)、大きく迂回して流れる大浦川の流れを真直ぐにして、水の滞留をなくし潮害を防いだ工事です。写真左に川があります。 |
大浦塩田跡地 | 松寿院墓地 |
【撮影場所】南種子町平山浜田 【アクセス時間】国道58号、県道75号線経由で約20分 【撮影日】2008年2月28日 【説明】松寿院の主な事業の一つで、大浦川沿いで、塩田を開発したところです。安政四年(1857年)に製塩を始めています。終戦後、昭和二十七、八年ごろ採算が取れなくて中止されています。ところで、写真の塩田跡は、昭和九年に完成したものといわれています。 |
【撮影場所】西之表市榕城中目 【アクセス時間】市街地より徒歩で約2分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】種子島家御拝塔墓地にある松寿院のお墓です。中央付近にあり大変立派なお墓です。案内板があります。 |
久道の墓地 | 種子島家御拝塔墓地 |
【撮影場所】西之表市榕城中目 【アクセス時間】市街地より約2分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】種子島家御拝塔墓地にある松寿院の夫にあたる久道公のお墓です。一七九三年に生まれ、一八二九年五月十三日に亡くなられています。 |
【撮影場所】西之表市榕城中目 【アクセス時間】市街地より約2分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】栖林神社の隣にある種子島家御拝塔墓地です。 |
御坊墓地 | 栖林神社 |
【撮影場所】西之表市榕城野首 【アクセス時間】市街地より約3分 【撮影日】2008年2月24日 【説明】種子島家の居城、本城からのお墓です。松寿院が初代から四代までを合祀しています。お墓の前に案内板があります。 |
【撮影場所】西之表市榕城中目 【アクセス時間】市街地より約2分 【撮影日】2008年1月11日 【説明】第十九代島主種子島久基を祭神として、文久三年(1863年)松寿院が遺徳を偲び創建しています。毎年一月十一日に「大的始式」が行われています。 |
松濤庵跡 | 御新田 |
【撮影場所】中種子町熊野神社 【アクセス時間】県道75号線経由で約20分 【撮影日】2010年10月10日 熊野権現山にある熊野神社神主宅の上にある石積みの場所が、松濤庵跡といわれています。周辺には、当時の石積みも残されています。松寿院は、熊野神社の信仰にも厚かったのです。 |
【撮影場所】中種子町油久西之山 【アクセス時間】国道58号線経由で約10分 【撮影日】2008年2月28日 【説明】西之山入口に御新田があります。松寿院がため池を作り、それを田んぼに引き入れて整備を行ったといわれています。なお、それ以前にあったが、松寿院が引き継いだとのこと。現在で言えば、田の土地改良のことです。この場所から少し手前の道沿いに、御新田の記念碑があります。 |
※ 松寿院に関係する西之表港の築島、沖の岸岐、御坊墓地、御新田、松濤庵跡、大浦塩田跡、大浦川川直しなどを撮影したものです。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島家の女偉人伝:種子島の女殿様といわれた松寿院(天璋院篤姫の伯母)】