古市家住宅の火縄銃説明
平成29年9月23日(土)、中種子町坂井古市家住宅・増田向井町で、誰もが先生、誰もが生徒!100人先生in種子島大学里祐二さんによるドローン先生及び深田和幸さんによる戦跡めぐり先生が行われました。
この日、25組の生徒が集まり、国指定古市家住宅でウミガメについての説明を受けたあと、約20分間のDVD鑑賞を行いました。
そのあと、長浜海岸に場所を移動し、長浜海岸の原之里海岸でウミガメ放流を体験しました。
古市家住宅には、現在、ひな壇と火縄銃を常時展示しています。中種子火縄銃保存会の深田さんが火縄銃について説明しているところです。写真1枚目です。
写真2枚目は、種子島宇宙芸術祭についての案内です。8月5日〜11月12日まで実施されます。100人先生は、誰もが先生、誰もが生徒をモットーに誰もが参加できる架空の題額です。この日、参加された生徒たちです。
種子島宇宙芸術祭について
種子島大学ドローン先生
写真3枚目は、ドローン先生の里さんです。ドローンの語源は、雄のミツバチのことで、飛行中のブーンという音が似ていることによります。ラジコン界では、マルチコプターと呼ばれていたものです。
写真4枚目は、里さんが熊野海岸をドローンで撮影した動画です。ドローンの部品は、安価ではあるが説明書などが全くついていないことが多くて、手探りの状態で始めたことなど話していました。
熊野海岸のドローン動画
実際にドローンを飛ばす
写真5枚目は、住宅内の庭の空き地でドローンを飛ばしました。簡単に飛ばすことはちょっと無理ですね。最低でも1週間は練習しないと両手で操れません。
写真六枚目は、九州海軍航空隊種子島基地の碑前です。昭和16年12月13日、海軍航空本部より、中種子町役場に増田牛之原地区が飛行場基地として決定されたとの公文書が届いたという。飛行場の建設には、島内だけではなく、屋久島や朝鮮からもたくさんの人が動員され、「島を守る」という自発的な参加もついには徴用という強制力によって婦女子、老人、がくと、児童までもがかり出され、着工から航空隊開隊まで約2年4か月の間に動員された延べ人数は、約100万人にも及んだ。
九州海軍航空隊種子島基地の碑
掩体群跡
写真7枚目は、掩体群跡です。掩体とは、飛行機を一時避難させて偽装網をかぶせて敵の攻撃から飛行機を守るため築かれたものです。現在、三か所掩体跡を確認できるとされます。
写真8枚目は、滑走路西側にある一時避難用の防空壕跡です。円形になっており、コンクリートの厚さは約80センチほどです。
一時避難防空壕
入植記念碑前
飛行場は、強制執行されて造られました。戸畑と小塩屋地域に三十数個の人々がいましたが、戦後、飛行場跡地に、入植したのは20戸でした。その後方には、水汲み場がありました。写真9枚目です。
写真10枚目は、戦後、残骸として残った飛行機の機体などの金属を溶かして作った生活するための鍋や容器です。中には、最近まで使われていた容器もありました。
機体などを溶かして作った鍋
戸畑の煙突・烹水所跡
写真11枚目は、戸畑の煙突・烹水所跡です。風呂の煙突と炊事場です。手前が炊事場、奥が浴槽です。いきました。これから厳しい試練が待ち受けています。また、30年後、50年後、この浜へ帰ってくることでしょう。
写真12枚目は、弾薬庫跡です。基地周辺には、多くの弾薬庫が作られています。写真右の穴です。この弾薬庫は、高さ約4.3メートル、幅約5メートル、奥行き約10メートルです。また、この周辺には、発電機室や貯水槽跡もあります。
弾薬庫跡
垣添隊の砲台
写真13枚目は、増田漁港東側断崖にある垣添隊の砲台です。米軍の上陸を水際で防ぐための砲台でした。写真では、中央に二つ見えています。
記念撮影
写真14枚目は、今回の100人先生でのスタッフです。右より深田さん、里さん、里さんの補助者たちです。
種子島宇宙芸術祭に関する詳しいことについては、種子島宇宙芸術芸術祭事務局(南種子商工会)(0997-26-0140)へお問い合わせてください。
※ 平成29年9月23日(土)、中種子町で行われた種子島宇宙芸術祭種子島大学ドローン先生で、古市家住宅での講座、実技及び増田漁港でのフライトモニター動画を紹介しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
※ 平成29年9月23日(土)、中種子町で行われた種子島宇宙芸術祭種子島大学戦跡めぐり先生で、古市家住宅での講座、増田向井町海軍飛行場跡・増田漁港での戦跡眼釣りの模様を紹介しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島宇宙芸術祭種子島大学戦跡めぐり先生古市家住宅・増田海軍飛行場跡】