この墓地は、第11代種子島島主・種子島時うじが文明元年(1469年)に種子島家の菩提寺として本源寺を建てた際、種子島家の二番目の墓地として定めたものです。
鉄砲伝来時の島主種子島時尭公のお墓は、写真中央です。
西之表市役所の北側に狭い道路があります。道路を挟んで真向かいに西之表市民会館があります。市民会館の西側の道を北に向かって進むと、右側に栖林神社の鳥居が見えてきます。そのまま進むと三叉路があり正面に鹿児島県の出先機関の熊毛支庁あります。
熊毛支庁前の道路の右に、小さな階段がありますので、そこを上がると種子島家の墓地に着きます。ちょうど栖林神社の隣、北側にあたり御拝塔墓地と言われています。
墓地の入り口右側に、案内用の看板が立ててあり、説明が書き込んでいます。初代から第27代までの墓地で、鉄砲伝来時の島主種子島時尭公の墓は、中央よりやや右寄りの奥のほうにあります。
中央線鉄砲館前交差点です。← 種子島家御拝塔墓地・熊毛支庁 ↑国上・美浜町 ↓西之表市役所
西町榕城校線栖林神社入口交差点付近です。← 種子島家御拝塔墓地・熊毛支庁・栖林神社 ↑西之表市役所
支庁線種子島家御拝塔墓地前通りです。右の階段を上がると墓地入口です。↑鉄砲館・本源寺裏参道 → 西之表市役所・栖林神社
階段入口にある種子島家御拝塔墓地の案内板です。入口です。
入口付近から写した墓地。時尭公のお墓は右奥。
種子島家御拝塔墓地墓石配置図です。
種子島家御拝塔墓地は、西之表市中目栖林神社北側にあります。
鉄砲伝来時の島主種子島時尭公は、左奥にあります。
なお、墓の配置は次の通りです。
・上段左より
不明、不明、不明、不明、不明、不明、正建寺より合改葬、不明、不明、時式(第13代恵時の子)、日珠、不明、於鶴、喜入摂津守忠政室、永俊尼、不明、不明、不明、隆勝(第14代時尭の子)、不明、第17代忠時、第18代久時、不明、久時母、不明、第16代久時、第15代時次、第14代時尭、第12代忠時、第13代恵時
・上段2番目左より
種子島家祖先の墓、第16代久時妻
・上段3番目左より
時享、隣子、不明、竹子、始時(第20代久達の子)、第20代久達、憲時(第19代久基第1子)、第19代久基室、第19代久基、第25代久尚室(幸子)、第25代久尚、第26代時丸、初子(久珍の子)
・上段4番目左より
不明、不明、第21代久芳室、第21代久芳、第22代久照室、第22代久照、第23代久道室(松寿院)、第23代久道、第24代久珍室(信子)、第24代久珍、不明、不明、不明、不明
・上段5番目左より
不明、第10代幡時(第11代時氏室、第12代忠時室)第9代時長(第4代真時室)、初代信基、第28代時望、房子、第27代守時、不明、戦死招魂墓
・上段6番目は省略
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入口
※■〜時尭公の墓
■〜不明墓
このようになっています。
※ 2013年5月4日、西之表市中目にある種子島家御拝塔墓地を撮影したものです。動画の中には、第14代種子島時尭、第16代久時、第16代久時室、松寿院、第23代久道のお墓などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。