西村織部之丞は、鉄砲伝来時、民国船の乗組員五峰と筆談するほど教養が秀でていた人物です。
ここは南種子町西之校区の本村地域です。県道75号線沿いの山手に位置します。ちょうど、青い屋根を目印にするといいでしょう。その右隣にある鉄筋の民家奥に「西村織部之丞屋敷跡」があります。
入り口に「西村織部之丞屋敷跡」の標柱が立っていますので、分かると思います。鉄砲伝来時、民国船の乗組員と筆談した、西ノ村の地頭であった西村織部之丞の屋敷跡地です。写真でも分かるとおり、現在、竹やぶになっていますが、古い石垣が積まれているのがわかると思います。この周辺から鉄砲伝来の歴史が始まっていった場所です。
これより左の青い屋根の民家付近に「中近世における 西ノ村仮屋跡」の記念碑が建てられています。周辺にはあちこち石積みがあり、屋敷があったろうという雰囲気は感じられます。
また、ここから前之浜海岸はすぐ近くに位置しています。
県道75号線西村織部之丞屋敷跡入口です。← 屋敷跡入口 ↑上中・茎永 ↓門倉岬
県道沿いの標柱が目印。そのまま進み右へ行くと立札が見えてきます。
少々草が生い茂っているので、ご注意ください。前方の立札がポイントです。
西村織部之丞の屋敷跡案内板です。歴史の解明が進むにつれて、漂着したのは南蛮船と云われていましたが、最近の研究では、ジャンク船となっています。
西村織部之丞屋敷跡の地は、仮屋とも呼ばれ西村家が代々屋敷を構えた。
「中近世における 西ノ村仮屋跡」の記念碑。
屋敷跡の石積が残されています。写真は、2009年2月15日に撮影した屋敷跡です。