種子島開発総合センター近くにある「第14代島主種子島時尭公像」です。日本人で初めて鉄砲を試射した人物です。
種子島時尭は、享禄元年(1528年)生まれ、この地は、時尭が第14代島主として建設した内城跡地である。
種子島開発総合センターの前に道路があり、その真向かいに榕城中学校があります。その中学校の西側に第14代島主種子島時尭公の像が建てられています。
鉄砲伝来でお馴染みの種子島時尭公は1528年に生まれ、1579年10月2日51歳で亡くなっています。鉄砲伝来のときは若干16歳でした。資料によれば2丁の鉄砲を2千両で買ったといわれています。
そして、ポルトガル人から譲り受けた鉄砲は、片時も離さずに持っていたといいます。日本人で初めて鉄砲を試射した人物であります。
この像の右には、案内用のパネルが設置されています。
銅像の裏面に刻まれた碑文は次の通りです。
碑 文
時尭公は 第十四代の島主なり 天文十二年八月 公十六歳の時 異国船本島に漂着す
公厚く救恤す 船中に葡国人あり 鐵砲を携う 公その威力に感じ 家臣をして鐵砲と火薬の製法を究めしめ漸くこれが製法に成功せしが その秘宝を匿すことなく 国内に公開す 信長 秀吉 家康 これを用いて戦国乱世を平らげ 天下統一す その功は時尭公に由来すべし
公は実に鐵砲の父 日欧修交の開祖たり その偉功を顕彰すべく 公の銅像を ここ居城跡地に建つ
昭和五十九年七月
時尭公顕彰会長
西之表市長 井元正流
製作 中村晋也
中央線鉄砲館前交差点です。第14代島主種子島時尭公像は、写真右の階段を上がると設置されています。
種子島時尭公像は、旧榕城中学校武道場の西側にあります。
第十四代種子島島主。父は第十三代種子島恵時、母は島津忠興の娘。島津氏と交誼を結び、その娘は島津義久の室に迎えられています。
銅像の裏面に刻まれた碑文です。上記の碑文を参照してください。
毎年、8月に種子島鉄砲まつりを開催しているが、祭りを行う前に時の島主種子島時尭公像に献花を行っています。写真は、平成28年8月21日の式典のものです。
時尭公の眼下には、赤尾木湾が一望でき、また、南蛮船を見立てた鉄砲館があります。
2014年(平成26年)8月24日、種子島開発総合センター近くにある種子島時尭公像の前にて、関係者により種子島時尭公への献花の模様を収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
動画のQRコードはこちら