種子島開発総合センター(鉄砲館)で、令和2年1月27日(月)〜令和2年2月27日(木)までの期間「昭和50年代写真展」が実施されてきました。
市政の窓で紹介するために撮影されたネガフィルムをスキャンして取り出したものです。昭和50年から58年までの8年間の主な出来事が写真で楽しめました。その企画展の資料などを撮影させていただきました。
なお、古書画と帯結び展の詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。
こちらが、昭和50年代写真展の展示コーナーです。
写真は、昭和50年の写真です。このころは、美浜海水浴場の海開きも行われていました。
昭和51年の写真です。この年の3月にSLが国鉄から贈られました。わかさ公園に設置していたD51です。SLを掃除している写真です。
写真は、昭和52年の古田小学校前通りです。種子島も雪が降りました。
写真は、昭和53年の西之表市制施行20周年記念パレードです。
写真は、昭和54年にダイヤル自動化による通話が可能となりました。
写真は、昭和55年、馬毛島小中学校での最後の卒業式のものです。
写真は、昭和56年安城諏訪神社での願成就での奉納踊り「源太郎踊り」が26年ぶりに復活されたという。
写真は、昭和57年、種子島中種子町増田出身大関若島津関の西之表市での凱旋パレードです。
写真は、昭和58年、種子島開発総合センター鉄砲館がオープンしました。
写真は、昭和57年、皇太子殿下が種子島をご訪問されて、わかさ園をご訪問されました。このときに、西海岸の岩場にペンキで書かれていた、「ナガラメトルナ」の文字が消えることになりました。
写真は、昭和50年代写真展示コーナーです。当方も昭和56年6月に転勤で種子島で仕事をしていました。そして、鉄砲館にも毎月仕事できていました。懐かしかったです。
※ 2020年2月27日(木)、種子島開発総合センター「鉄砲館」で取材した「市政の窓」担当者が撮影した昭和50年代写真展の展示資料を紹介しています。この動画の中には、展示コーナー、昭和50年〜昭和58年までの期間に撮影された人が多く集まっている行事、イベントなどの写真すべてを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【「市政の窓」担当者が撮影した昭和50年代写真展種子島開発総合センター鉄砲館企画展】