御坊墓地にある鉄砲伝来時の島主種子島時尭公のお墓です。
御坊(おぼう)墓地は、種子島家最初の居城で本城時代からの墓地です。御坊墓地と呼ばれ、種子島家の祈願寺であった慈遠寺の北側に位置することで由来しています。
墓地の一番右は初代から4代までは合祀し、鉄砲伝来の時の14代時尭公は、右から十番目の墓となっています。墓の前には、家臣の墓もあり、この種子島家の墓地を守護するかのように建てられています。
この前の道路を海岸(手前側)に向かって進むと、旧種子島測候所があったいわゆる鉄砲場に行き着きます。
西町上之原線御坊墓地入口交差点付近です。← 鉄砲場・御坊墓地 ↑国上 ↓西之表港
美浜湯之川線御坊墓地入口交差点付近です。↑御坊墓地・鉄砲場 → 美浜町 ↓西町
湯之川鉄砲場線御坊墓地前通りです。↑鉄砲場・洲之崎 → 御坊墓地 ↓西町 この先に墓地案内板が設置されています。
御坊墓地入口です。
江戸時代末期の万延元年(1860年)、第23代島主種子島久道夫人だった松寿院が、初代信基から4代真時までを一基に合祀し、法号を刻み込み参り墓とした。
御坊墓地墓石配置図です。
種子島氏最初の居城本城時代からの墓地。
毎年、種子島鉄砲まつりの墓前祭では、時の島主種子島時尭公のお墓前でご焼香を行っています。写真は、平成27年8月23日墓前祭の模様です。
御坊墓地の墓の位置は次の配置になっています。 向かって右側より ・初代〜第4代 信基、信式、信真、真時、合祀、・第5代 時基、・第5代 時基室、・第6代 時充、・第6代 時充室、・第7代 頼時、・第16代 久時、・第7代 頼時室、・第8代 清時室、・第14代 時尭、・第10代 幡時室、・第13代 恵時室、・第16代 久時室、・第7代 清時女、・第7代 清時(第六子)、・第19代 久基・四子(時純)、・第19代 久基・二女、・又太郎 信家・二男
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入口
※■は、時尭公の墓
このようになっています。
※ 2014年8月24日、午前8時20分より、御坊墓地で、第29代種子島時邦氏ご夫妻をはじめ、関係者のご参列のもと種子島家の菩提寺である本源寺住職により墓前祭を執り行いました。その模様を収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
※ 2013年4月27日、西之表市野首にある御坊墓地を撮影したものです。動画の中には、第14代種子島時尭、第16代久時、第16代久時室のお墓及び家臣二十家のお墓などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。