2024(令和6)年1月17日(水)、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)で、下野敏見展が、1月24日まで行われています。
その企画展を取材させていただきました。下野先生は、2022年3月に93歳でお亡くなりになっています。先生は、こよなく種子島を愛し、きめ細かく民俗文化を調査研究してこられました。
その企画展の模様を掲載しています。
鉄砲館の企画展コーナーです。わたしの原点は「種子島」というほど、こよなく種子島を愛してこられました。
これは、先生の採集帳です。初期のもので、種子島の各地を駆け巡りきめ細かく書き写したものです。先生は、スケッチが大変上手な方でした。
先生は、知覧町の出身で、鹿大卒業後、25歳の時に中種子高校に赴任されてきました。これがきっかけで、種子島の民俗文化の採集が始まっていくのです。
こちらは、種子島民族と種子島漁業習俗の冊子です。高校の地理部で生徒と一緒になって民俗文化を採取したもので、第1回柳田賞を受賞しています。
こちらが、柳田賞を受賞したメダルです。
先生の調査ノートです。後で検索しやすいようにインデックスも細かく整理されています。とにかく、絵画がきれいです。
茶箱に入ったネガフィルムです。愛用のカメラで撮影したものです。このような茶箱が、12箱あるそうです。
写真スクラップ帳です。ネガフィルムを整理して保存しています。
先生愛用のカメラです。7代のカメラです。いつも先生は、首にかけていました。
これは、平成15年3月号の市政の窓に掲載された怪獣葡萄銅鏡が見つかって掲載されたものです。大広野神社から見つかったものです。
先生は、数多くの民俗に関する本を出版されてきました。その中で、種子島の民俗芸能衆が最後の出版となりました。その中で、先生は、「わたしの原点は 種子島」であることが記載されています。
そして、晩年に先生は、遺品など多くを鐵砲館に寄贈するとおしゃられていたそうです。現在、鉄砲館への持ち出しもされて、これから整理されることになります。
2024(令和6)年1月17日(水)、種子島開発総合センター(鉄砲館)で取材した企画展「下野敏見展」の展示作品を鉄砲館鮫島係長による解説で紹介しています。この動画の中には、下野敏見先生の種子島との関わりについての説明、採集帳、調査ノート、茶箱の保管されたネガフィルム、写真スクラップ、愛用のカメラ、市政の窓に掲載された海獣葡萄鏡、種子島盆踊調査報告書、漁業で使うくし、寄贈に向けた先生自宅での資料の説明、資料の搬出・搬入の作業のこと、これまで出版された著書のこと、今回の企画展についての説明などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。